あずまんの日記

個人的な感想や意見なのであしからず

アンゴ

 

西郷どん奄美編も2回目。

とぅまが吉之助のトゥジ(妻)になり、「愛加那」という名前を貰った。

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このシーンの二階堂ふみちゃんがあまりにも綺麗で、思わず

「はげ〜、きょらさや〜」

とため息が漏れた。

 

 

 

しかし、以前にも言えたことではあるが、今回でより強まった違和感がある。

それは"龍家の人々が率先して畑仕事に参加し、時には罰を受けている"ことである。

龍家といえば、元は琉球王朝から支配を任されていた笠利為春の一族であり、琉球王国初代国王の父・尚稷王の血を引いているとされている。

そんな、いわば支配者側であった一族が"畑仕事をしている"のでさえ不思議なのに、

隠し砂糖による罰まで受けているのはとても違和感があった。

薩摩による奄美支配を描く演出としては重要な改変であるような気もするが、どうなのだろう。

 

 

また、今回の"愛加那がアンゴとして申し出るもそれを吉之助は断り、愛加那を正妻として迎え入れる"というストーリーは、

「男尊女卑へのアンチテーゼ」的な描かれ方をしているように見えたが、それは無理があるだろうと思った。

 

元々奄美では女性を軽く扱う文化があまりない。

というのも、奄美には黒糖以外の上納品として"大島紬"があり、それを織るのが女性の仕事であった。

そのため奄美の家では、女の子が生まれても稼ぎ手として大変喜ばれたと聞くし、

今でも島の家は男より女の方が元気で強い家が多い。

西郷どんの中で機織りをする女性が描かれていないのは、こうした背景が「アンゴを男尊女卑の象徴として描く」というストーリーに不向きだからだと考えるが、

アンゴは「ヤマトの流人を落ち着かせる為にあてがう一時的な妻」であるため、これを"奄美の男尊女卑"のように描くのは無理がないか…?と思った。

 

 

ここまで文句ばかり書いてきたが、ここで良い面をあげようと思う。

序盤のシーンで愛加那のバックに流れていた三線があったが、多分あれは「いきゅんにゃかな」ではないかと思った。

「いきゅんにゃかな」の歌詞は以下の通りだ。

 

いきゅんにゃかな

(行ってしまうの、愛しい人)

わきゃくとぅ忘りてぃ

(私のことを忘れて)

いきゅんにゃかな

(行ってしまうの、愛しい人)

うたちやうたしゃがいきぐるしゃ

(行こう行こうとはするけど行きづらいなあ)

そらいきぐるしゃ

(行きづらいなあ)

 

この恋人どうしの男女の歌を流すことで、愛加那の心情を描いていたのではないだろうか。

その後の、吉之助が将来自分の元を離れ1人になることを案ずるも、それでも良いと決意するシーンが、この歌でより一層強調されているように感じた。

(中村瑞希さんによるいきゅんにゃかな

https://youtu.be/EVMCmM9rgRE)

 

 

 

今回はアンゴのことを中心に描かれ、最後は幸せな描写で幕を閉じた。

来週からはまた波乱続きとなるのは分かっているが、この2人にはずっと幸せであってほしい…!と感じる回だった。