あずまんの日記

個人的な感想や意見なのであしからず

庵野作品は分かりにくい

 

 

昨日シン・ゴジラが地上波上映されていた。

私は公開当時ミッテ10に姉と二人で見に行って、上映中感動と興奮で号泣し悶絶した。

帰る際に隣を見ると、姉とその奥のミリタリーオタクの青年たちも目を真っ赤にしていたのを覚えている。

 

昨日の放送後にツイッターを見てみると、シン・ゴジラについてのツイートが沢山されていた。

豆知識や感想のツイートが多かったが、中には「よくわかんなかった」「つまらん」という意見も散見された。

実際、公開当時もこういう意見の方が多く、私が見に行った映画館でも席が全然埋まっておらず、その中でも見に来ていた私たち姉妹とミリヲタ青年たち以外の数名は苦笑しながら帰っていった。

 

というかそもそも、あの当時人気絶頂のアニメ・エヴァンゲリオンの最終回を主人公の精神世界の描写で終わらせ、挙句その補完映画を作るも「まごころを、君に」を完成させてしまう庵野秀明監督の映画なのだ。

「面白い!」「感動した!」という声の方が少ないのが当たり前なのである。

私は庵野秀明監督のファンで、ミリヲタ青年たちと姉はミリタリーファンだから楽しめたのであって、一般的な怪獣ものを期待している人がつまらないと感じるのは至極真っ当な反応だと思う。

なので、シン・ゴジラを含む庵野作品に関して、私はいろんな人に「1回見てみてよ」と薦めることには薦めるが、「つまらんかった」と言われれば「ふーん」としか思わない。

 

しかしだ。

今回つまらないという意見よりも多く見られたのは

「すごく早口で分かりにくい。もっと分かりやすい映画になったらもっと面白いのに。」

という意見だった。

もうこれに関してはうるせえバカの一言に尽きる。

この発言は、宮崎駿

「もっと目とおっぱいがデカくてエロい幼女と一緒に共同生活するみたいな、エッチな日常系アニメ作ってくださいよ〜〜www」

と言うようなものである。恥を知れ。

 

庵野秀明の作品は主軸のストーリーの他に、登場人物全員の人生や今までの経験で得た価値観を描くことが多い。

また、その登場人物たちにそれらを詳しく語らせるわけでもなく、回想シーンが沢山入るわけでもなく、主軸のストーリーの中での行動・言動で性格を描いていくのだ。

なので、いかんせん情報量が多い。

 

例えば、シン・ゴジラから、通称内閣総辞職ビームのあと矢口蘭堂巨災対メンバーに対してスピーチをするシーン。

このシーンで一瞬だけ高橋一生演じる安田が映るが、その目は涙を溜めながらも強い意思を持っている。

 

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何も説明はないが、彼があの一夜の悲劇で大切な人を亡くしたことが痛いほど伝わってくる。

ファンの間では恋人という説が上がっているが、私はおばあちゃんだろうと思う。

このずっと前に、彼は同じ巨災対メンバーの尾頭に対して

「冗談ポイですよ、尾頭さん」

と言っているシーンがある。

このポイは「〜のようだ」という意味のものではなく、「捨てる」という意味のものらしく、おばあちゃん世代の人達が若い頃に「冗談は捨ててしまえ=やめなさい」というような意味で使っていたらしい。

親しい人の癖は伝染る。口癖も例外ではない。

きっと安田のおばあちゃんがよく「冗談ポイだよ」と言うのだろう。

それが伝染るぐらいなのだから、相当なおばあちゃんっ子に違いない。

この「冗談ポイですよ」でおばあちゃんっ子を匂わせておいてあの瞳の描写は、大切な人=おばあちゃんの布石ではないかと思われる。

 

こんな一瞬にも彼の生きてきた人生と価値観が詰まっているのだ。

その上複雑な政治事情やゴジラについての説明が入れば、図らずも早口になってしまうのは当然である。

 

 

また、話は変わるが本作のゴジラについて

ゴジラを災害として描いている」

というのも、少しだけ違っていると感じる。

このシン・ゴジラでの「ゴジラ」は巨災対や政府から「災害」として扱われ対処されているだけで、成長や進化をする普通の生物であることは今までのゴジラ映画と変わらない。

例えば、件の内閣総辞職ビームのシーン。

 

( 動画URLhttps://youtu.be/wpGK-H8tiaM )

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 最初は咳き込むように煙を吐き出し、それが段々と赤い炎になり、そして最終的にビームになっていく。

途中ゴジラは何かに目覚めたように目をギョロリとさせ、空を仰ぎ、飛んでいるヘリコプターや周囲のビルを破壊していく。

このシーンを初めて観たとき、私は飼っている小鳥が初めて飛べるようになったときや、実家の犬が初めて大きな声で吠えたときを思い出した。

自分に自分が知らない能力が宿っていたことへの生命の気付きと驚き、それに対する喜び。

意味もなく飛び回る小鳥のような、楽しそうに無駄吠えする子犬のような、何も知らない子どもがはしゃいで遊んでいる様子が僅かに伺える。

 たしかに見た目に愛らしさはなく、このシーンからも恐怖しか感じられないが、この恐怖は決して東京の街が破壊されていくことに対してではなく、

ゴジラって生きてるんだ」

という実感こそが恐怖を感じさせたのではないだろうか。

今まで被害は出しつつも攻撃してこなかったゴジラに対して、災害として扱ってきたことの「無機物感」「客観性」を全面否定し、

「お前と一緒で生きてるんだよ」

と言われたような絶望感が、このシーンを人気にさせている理由の一つなのだと思う。

 

ちなみに、

「なんでゴジラって手がちっちゃいの?」

という意見も多かったので加筆しておくと、ゴジラは食事をしない二足歩行生物だからだと思われる。

生物の器官というのは進化とともになくなっていくことがある。例えば人間のしっぽや、ハゲタカの頭頂部の毛などがそれである。

ゴジラは二足歩行生物なので歩行に前足を使わないし、食事もしないので狩猟に使うこともない。

ゴジラにとって手は全く不要な器官になっているのだろう。

しかし、完全になくなっていないのはゴジラが未だ発展途上であることを示唆しているのだと思われる。

この手が、核反応と第五形態の伏線になっているのかもしれない。

 

こうした何とも細かい描写や設定なんかが、庵野作品には数え切れないほどある。

庵野秀明監督はただただ自分のフェティシズム全開の映画やアニメをつくり、

それに対して私達オタクは、庵野作品を何度も何度も繰り返し視聴し、得意分野の知識を持ち寄ってそれらの不透明部分を補完していき、最後に庵野秀明のインタビューやメイキング動画、ファンブックなどで答え合わせしていくことに楽しみを見出している。

私達だけが分かればいい!ということではなく、庵野フェティシズムに付き合えないのなら無理して合わせなくていいということが私は言いたい。

「よく分かんないからもっと分かりやすくしてよ!」

と言うぐらいなら、「つまらない」と一蹴しワイスピでも見た方が良いのでは。