あずまんの日記

個人的な感想や意見なのであしからず

takk!使ってみた

 

最近「takk!」というものがメンタルヘルス界隈で賑わっている。

どうも、自分が得意なことと困っていることを登録して、お互い助け合うツールであり、そこに報酬として金銭が発生したりしなかったりというものらしい。

 

私自身、最近イベントの宣伝方法をどうしたらいいのか困っていたことや、文章を書くお仕事を貰えないか考えていたこともあり、登録して使ってみることに。

 

 

まずアカウント登録。

登録自体はかなり簡単で、ツイッターFacebookのアカウント認証を行うだけ。

私の場合Facebookは利用していないので、最初に出てきた画面の「ツイッターでアカウント登録」という水色のボタンをぽちっと押すだけで登録が完了した。

楽!!!!!!

 

登録が完了するとホーム画面へ。

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ホーム画面はこんな感じで、ツイッターFacebookの知り合い(フォロワーのフォロワーまで?)で登録をしている人たちの「できること」「困りごと」が新着順で出てくる。

正直最初は

「なんでフォロワー…?全然知らない人の新着情報じゃないの?」

と思ったが、意外とこの“フォロワーのフォロワーまでの表示”が使ってみると便利だった。

 

全然知らない人となると、本当に全然関係のない「できること」「困りごと」がほとんどなため、見ても「ふーん」と思うだけに留まってしまう。

しかし、“フォロワーのフォロワー”ぐらいだと、興味のある事柄に関するものが多いため「頼んでみたい」「頼んでほしい」と思い、実際に取引に繋がる回数も多く感じた。

 

実際に私も数名と取引の連絡を行ったが、これがまたスムーズで楽ちんだった。

 

上の画面で表示されているものや、虫眼鏡のアイコンで検索し表示されているものの中で取引をしたいと思ったら、まずその「できること」「困りごと」をタッチ・クリックする。

 

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すると出てくるのがこんな画面で、詳細を確認し、ステータスを選び、依頼の詳細を入力し、あとはそれを送信してやりとりするだけで終わり。

 私がやりとりしたものでも、大体数回のやりとりで取引が完了した。時間にすると一時間もかかっていないように思う。

これでお給金もでたりするなんて便利すぎないか。

便利すぎて怖い。

 

 

…とまあ、ここまで使いやすさに関してめちゃくちゃに褒めちぎっているが、使ってみて感じた点も上げていこう。

 

まず最初に感じたことは、「ただの便利な頼り合いツールじゃないな」ということ。

最初にtakk!を知ったとき、先にも述べているが、メンタルヘルスに関する活動をしている人たちの間で話題を呼んでいたためだったこともあり、

「なんでメンタルヘルス界隈で流行ってるんだ?」

と疑問に思った。

そして使ってみるうちに、これは「ただ頼り合いをするツール」ではなく、「自分の得意なことで達成感や自己肯定感を高め、それを他の人にも分けてあげるツール」なのかもな、と思うと同時に、メンタルヘルス界隈で流行っていることにも納得がいった。

メンタルに支障をきたしている人は自己肯定感が低い。

そのために、「自分は何もできない」「必要とされていない」と感じてしまう人も少なくない。

そういった人たちが得意なことを発信し、頼ってもらうことで「自分にもできることがある」と感じてもらうという、認知行動療法的なアプローチのツールであるように感じた。

そら流行るわ。

 

しかし、そうしたメンタルヘルス界隈を対象にしていることで出てきている問題点もあるように感じた。

 

現在、リリースから半年ほどしか経っていない「takk!」。

そのためか、登録されている「できること」と「困りごと」の比率としては圧倒的に「できること」の方が多い。

まだ最初のユーザーたちが自己肯定感を高めるに至っておらず、その間もどんどんユーザーが増えてしまったために、このアンバランスな図ができてしまったように感じた。

また、私のように「得意なことでお仕事を貰いたい」と考えている人は、競争率の高い「困りごと」にコンタクトしにいくか、依頼をただ待つしかない。

なにごともすぐに結果がでるものではないと分かってはいるものの、この“待つ”が苦手な私にとってはかなりの問題点のように感じた。

 

 

個人的に考えるtakk!の課題としては、このアンバランスさをどうするかにかかっているように思う。

運営の方達は「メンタルヘルス界隈を対象にしている」と明言してはいないものの、実際その界隈で流行ってしまったために生まれたこのアンバランスさを、いかに他の場所での流行で修正できるかが鍵なのではないだろうか。

 

 

 

わたしのエヴァンゲリオン

 

エヴァンゲリオンは私の青春であり、人生である。

また、私の中のエヴァンゲリオンは既に終わったものであり、新劇場版はゲームで言う別エンドにすぎない。

先日、新劇場版の最終章の公開年が決定し話題になり、私もおおいに盛り上がったが、他の人と違うのは

「やっと完結する!」

ではなく

「やっとBルート終わりか」

という気分なこと。

 

そもそも、アニメ版の最終話を見て「完結してない」と勘違いしている人が多いが、あれは綺麗に完結しているのだ。

「おめでとうエンド」と馬鹿にしているやつは死んで詫びるか、「THE END OF EVANGELIONまごころを君にAir”」を見るべきだ。

DEAD or WATCH

 

 

劇場版 NEON GENESIS EVANGELION - DEATH (TRUE) 2 : Air / まごころを君に [DVD]
 

 

この映画、アニメの第25話と第26話のいわゆる「おめでとうエンド」と馬鹿にされた話は、実はシンジの心の中の葛藤を描いたものだったというもので、

では実際その頃、エヴァの世界では何が起きていたのかを描いている。

戦略自衛隊のNERVへの奇襲、その中で起こされるサードインパクト人類補完計画、全て見透かしていたかのように始まるシンジの父・碇ゲンドウの秘密計画…

 

そもそも、エヴァの世界では人と人を分つのは“ATフィールド”と呼ばれる心のバリアのようなものと考えられていて、その人を分つバリアを破壊することで「大きな一つの生命体」になり「誰も傷つかない世界」にするのが『人類補完計画』であり、また、そのバリアを破壊するのが『サードインパクト』である。

主人公のシンジがサードインパクトを引き起こす材料となる訳だが、その心の葛藤を描いたのがアニメ版、世界の動きを描いたのが旧劇場版である。

 

 

この映画には印象に残るシーンが多くある。

 

サードインパクトが起こり、人々のATフィールドがなくなると、人はLCLという生命のスープに変わってしまう。

その瞬間に心の葛藤や欲望が具現化して現れるのだが、

エヴァのモブキャラである青葉シゲルは大量の綾波レイに詰め寄られながらLCLになった。

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これは裏設定があり、人工的に作られた綾波の身体を、青葉が保管庫から盗みダッチワイフとして使っていたためだと言われている。

青葉はアニメ本編でも勤務中に音楽雑誌を読んだり、エアギターをして遊んだりしており、なんとも彼らしい終わり方である。

私の3番目に好きなキャラは彼だ。この人間臭いクズ加減がよい。

ちなみに1番は加持リョウジで、2番が惣流・アスカ・ラングレー

 

次に「大人のキス」のシーン。

シンジがエヴァに乗ることにトラウマを持ち、もう死んでしまいたいと考えている状態から始まるこの映画。

そこに戦略自衛隊が襲撃を仕掛けてきて、サードインパクトを人為的に起こそうと画策していることが判明し、シンジも戦闘にかり出されることになる。

葛藤しながらも、上司の葛城ミサトに連れられ、自衛隊の網を搔い潜り、エヴァの搭乗口に直結するエレベーターまで向かうも、ミサトは自衛隊の銃弾を受け致命傷を負ってしまう。

エヴァのトラウマ、仲間の戦闘、ミサトの負傷、様々な葛藤をめぐらせ戦闘への参加をしぶるシンジに、ミサトは熱い口づけをかわすのだ。

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「大人のキスよ、帰ったら続きをしましょう」

そういってシンジをエレベーターに押し込むミサトは笑顔で彼を見送る。

 

これ、確かにスケベではあるが、こんなに感動するシーンは無いように思う。

ミサトは性に奔放なため、セックスを匂わせることでしか男を奮起させられないことも、ミサトがこのままだと死んでしまうことも、お互い分かっているのだ。

お互い分かっていて、相手が分かっていることも理解した上で、シンジは戦闘に向かい、ミサトは笑顔で送り出す。

こんなに切なく物悲しいシーン、他にあるだろうか。

 

最後にシンジの問題のシーン。

映画の冒頭で、負傷し意識の無い仲間・惣流アスカの露出した胸を見て、その場でシンジはオナニーを始めてしまう。そして終えた後、

「最低だ、俺って」

と手のひらを眺めて呟くのだ。

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最低すぎるだろ。まあ中学生だし仕方ないのか。

でもこれおっさんが考えたと思うと最低すぎる。

 

まあ、そんなことは置いといて。

実はこのシーン、最後の最後のシーンにつながっているのだ。

 

サードインパクトの引き金となり、「誰も傷つかない世界」か「傷つく世界」の選択を迫られたシンジは

「もう一度みんなに会いたい」

と自らの意思で図らずも人類補完計画を阻止する。

そしてサードインパクトが終わると、シンジの隣にはアスカが横たわっており、周りには誰もおらず、シンジはアスカの首を絞める。

しかし、途中で手を離し静かに泣くシンジに、アスカが一言「気持ち悪い」と吐き捨て映画は終わる。

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この「気持ち悪い」はアスカの声優さんが考えた台詞だ。

監督に「起きたとき、自分でオナニーしてた男がいたらなんて言う?」と聞かれ、答えた言葉がそのまま台詞になっている。

まあ、だよね〜という感じ。そら気持ち悪い。

 

ここからは憶測だが、シンジは「傷つく世界」を「他者から傷つけられ、自分も他者を傷つける世界」だと考え、それが今までの世界だったことを理解し、望んだためにアスカと2人きりになったのでは、と考える。

今までのアニメでも、シンジがはっきりと意見を言えたのはアスカだったし、アスカもシンジを傷つけていた。

それが人間と人間が関わるということだと理解し、求めたのでは。

しかし、そういう世界を求めただけであってアスカを求めた訳ではなかったため、他の誰もいない世界に混乱し、今まで自分を傷つけてきたアスカに当たったのだと思う。

 

でもまあアスカにとっては関係のないことだし、そら気持ち悪いよね。

 

 

エヴァはロボットアニメではなく人間ドラマだと言うことは死ぬほど言われてきているが、アニメ版と旧劇場版は特に色濃くその傾向が出ている。

むしろ新劇場版はただのロボットアニメと言われてもしょうがないぐらいである。

みんな、エヴァンゲリオンを見るときはアニメ版と旧劇場版を見よう。

それか、全部見ないでこんなうるせえオタクにならないようにしよう。

 

 

 

 

耳栓にはまってます

 

最近耳栓にはまっている。

はまっている、と言えば語弊があるかもしれないが。

 

最初のきっかけは不眠症で、外の音や篤史のいびき、鳥たちの寝言などが気になって眠れなくなったため、100均に買いにいったのが始まり。

そこからあれやこれや調べたり買ったりしているうちに、めちゃくちゃにドはまりしてしまった。

 

最初に買ったものはキャンドゥ(100均)のウレタン製のもので、まあまあ使い心地はよかったがすぐに失くしてしまった。

そこでまた別の100均で買ったスポンジ製の、失くさないように紐がついたやつを買ったのだが、とても微妙。

耳栓を入れるときに一旦ぎゅっと押しつぶすかと思うが、スポンジ製だとすぐに元の形に戻ってしまう。

そのため、耳に入りきる前に元の大きさになって、その柔らかさと絶妙な反発性で耳から押し出されてしまうのだ。これはクソ。ほんとに。

 

そこで調べて出てきたのが、MOLDEX社のウレタン製耳栓である。

これはほんとにすごい。

 

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まずいろんなサイズと反発力?のものがあり、色や柄もかわいい。

そして、耳への入れやすさも半端じゃない。

先に書いた100均のスポンジ製のものと比べてみると、ぎゅっとした後の戻りがかなりゆっくりなのが分かる。

  

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それぞれ元に戻るまでの時間を計ったところ、スポンジ製のものが5秒以下なのに対して、MOLDEXのものは2分30秒以上もかかった。

こんだけ時間がかかれば、一旦耳に入れてから位置の調整をするのも超簡単。

 

また、同じくウレタン製だったキャンドゥのものと違う点は、密度の高さのように感じる。

これをつけたら、ほんとに自分の声以外全く聞こえなくなる。

多少大きな音になれば聞こえるのだろうが、生活音に関しては全く気にならなくなった。

 

もともとはサバゲーとか銃を扱う人向けのものらしく、そりゃ使いやすい訳で。

もうなんなら、私はこの耳栓を買ってから普段集中したいときなんかにも使っている。

寝るとき、勉強するとき、ブログを書くとき、イベントのことを考えるとき。

サイズもぴったりなものだと、ずっと付けていても苦にならない。

 

なんかアフィリエイトっぽくなったので、適当にリンクも張っておく。

みなさんも、耳栓ブーム起こしませんか。

 

 

 

 

 

昨日のこと

 

一昨日は最悪な日だった。

学校に行き、病気に関する配慮をお願いしに行った際に、医者から貰った診断書を渡したついでにコピーを貰ったのだが、

そこには大きく「双極性障害1型」と書かれていた。

あー鬱病じゃなくついに躁鬱になったなー、と思いつつもやもやとした気持ちを抱えながらTOEICの勉強をしていた。

 

私はある程度の精神医療の知識がある。

だから鬱病双極性障害の傷病区分が違うことも知っているし、より複雑になってしまったこともよく分かった。

もやもや、もやもや

いやまあ、分かってたけどね。

今日はお酒を飲もう。

そう思いお酒とつまみを買って帰った。

 

そこに急にまつきよさんからLINEが入った。

「きしゃばで飲もう」

とのことで、でも金がないから家に来たら酒ありますよ、と誘い返した。

30分もしないうちに来て、私の好きなおつまみを追加で買ってきてくださった。

 

私は息付く間もなくすぐに

「躁鬱になりましたよ」

と伝えた。特に何も期待せず、報告として。

すると瞬間、まつきよさんは爆笑して、笑いで途切れ途切れになりながら

「段階、上がったね!」

と言った。

 

これだ、私が欲しかったのは!

今日・及び昨日のもやもやに対する酒はここにあった!

嬉しくてたまらなくて、全部話した。

まつきよさんは全部笑った。

まつきよさんも話して、私も全部笑った。

 

そんなこんなで昨日の4時まで語らい、煙草と酒を飲み、薬も飲まずにすっと寝た。

起きたら10時で、お腹も空いていた。

なんていい夜だったんだ、としみじみ思った。

 

 

昨日はイベントにお誘いする人と篤史くんとの予定があったので、まつきよさんの買ってきてくれた柿の種を食らい、さらっと準備をして磯に向かった。

お誘いした彼は私と全く同じ趣味を持つ人で、彼の車で流す私のiPhoneの音楽を彼は

「俺のiPhoneかと思った」

と笑っていた。

 

磯のカフェでパスタを食らいながら、イベントに関する話をした。

私は彼にDJもしくはトラックメイクなどをして、作品があれば展示してほしいとお願いすると、彼は

「実は俺コラージュとかやってるんすよ」

と今までの作品を見せてくれた。

 

その作品群を見て、私は中高と描いていた自分の絵を思い出した。

人型や犬型に切り抜いたメモに、機械仕掛けの骨格を描いていた私。

もっと可愛い絵を描いたらいいのに、と言った担任の先生。

あまり知られてない好きなバンドのフライヤーを描くのが趣味だった私。

なんで忘れてたのか不思議に思うと同時に、この人に頼んで良かったと思った。

 

そこから篤史くんの打ち合わせや最近聴いているアーティストの話を終えて、解散し、帰ってきてから優しい昼寝をした。

起きてからもお腹が空いていて、ご飯を1合も食べた。

 

傍から見れば普通の日常かもしれないが、私には最高の24時間だった。

イベントもきっと最高のものになるだろう、と確信した。

なんという日、なんという日常。

最高、最高だ、と噛み砕きながらまた今から眠りにつく。

たぶん来週も幸せに終われるだろうと夢見る。

 

 

 

最近の私うるさいよな

 

近頃気絶したように眠り、何かに駆られたように起きる毎日が続いている。

病院の先生の処方箋いわく、躁状態になっているらしいのだ。

躁とは鬱の対局で、テンションの上がり下がりが激しすぎる状態に私はいる。

 

ここでの不安はイベントのことで予定を詰めすぎていることで、最近よく

「イベントの打ち合わせ、行けないほどの落ち込みがそのとき来たらどうしよう。」

とばかり考えている。

全然そんなこと考えても意味が無いのに。

 

そんな不安を抱えながら、強い眠剤を飲み、泥のように眠り、そうかと思えば夜中にすっと起きて、あれやこれやと計画や活動を始めるのだ。

こうしてる間に、篤史くんがいびきをかいて寝ているのを見ると、ひっぱたきたくなるほど憎くてたまらなくなることもある。

 

みなが布団から出れないよ〜と嘆く中、「布団にいつまでも入っていたい」と嘆く。

一見同じ、本質が全く違う。

眠れない、寝たい、眠くならない、寝たい

動き回りたい、寝たい、活動しなきゃ、寝たい

そんなことを考えている内に体重がみるみる落ち(6月だけで4kgも落ちた)、でも笑いながらべらべらと喋り一日が終わる。

 

イベントについても、自分的にはナイスアイデア!最高だぜ!と発表し、計画もさらけ出しているが、

どうしても反応が薄く、それは私がうるさいからだな、と帰因してみるも

「本当は変なアイデアなんじゃないか?」

躁状態の無敵感によるものなだけだろ」

「みんな気を使ってるんだ」

と囁く自分がいて、でも涙も出ないしへらへらとしている。

 

打ち合わせ、という名のお茶会は10・15日にあるが、そこではみんな本音で語り合おう。語り合いましょう。

そうしなければ、私が不安なんです。

お茶会をしてから出演を決めてほしい。

 

しかしまあ、こんな不安を抱えつつもイベントはやる。やらねばならぬ。

今最も出てほしい3人に声をかけ、2人に声をかけようとしている。

この人たちなら私のやりたいことを受け止めてくれるはずだ、と感じる5人だ。

しかし欲を言えばあと2人に出てほしい。

もし、興味を持ってくれている人がいたなら、7月中に会ってお茶しよう。

そこであなたの美しい話と、私の思う美しさの話をしたい。

その擦り合わせができるとお互いが感じれた時、出演を決めてほしい。

待っています。

 

学問について

 

昨日、元気がないなりに元気だったので外出し、好きなものを買い漁り、素敵な絵を見、素敵な人たちと会話をした。

その会話の文脈で私の苦手な人(以前ブログにも書いた)が出てきて「わ!」と思い、帰って心休めようとTwitterを見てたらTLにその人のツイートが回ってきてまた「わ!」となり、

そんなこんなで今日目覚めたら元気がなかった。

 

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その時に買った283さん(Twitter @283__________  )のポストカードを、以前篤史くんが買った原画の隣に飾った。

283さんの絵はアクリルだが、油絵のようなタッチで描かれる雰囲気と、胸にチクッと刺さるような題材がとても好き。

みなさんも是非。

 

話は戻るが、

私は現在心理学を勉強していて、卒論を書いている。

学士の卒論なんてテキトーでいいのだろうが、私は心理学が好きなので本気を出して取り組んでいる。

心理学に本気を出して取り組むとなると、心理学の知識に加え社会学統計学、人間進化論や医療などの幅広い知識を持っていなければならない。

また、それがとても楽しい。

 

私はそういう「学ぶのが楽しい!」という瞬間、大切にしていることがある。

それは「論破しようとしない」ことである。

これはどこかの大学の教授がゼミ生に言った言葉で、私はこれを聞いたときにハッとして、己を鑑み身を正そうと思った。

「論破しない」というのは何も「言い負かすな」という意味ではない。

これは「自分の持つ知識を偉そうに振りかざさない」ということである。

私はこの言葉を聞いてから、同じゼミの子と意見交換をする際や、自分の卒論の内容を紹介する時には、できるだけ専門用語を出さないようにしたり、使っても説明を加えるようにしている。

 

意外と「論破しない」というのは難しい。

誰しも自分が何かひとつに精通していると感じると、自ずと自慢げに披露したくなるものだし、偉そうにしたくなるものである。

でもそうした人から学ぶと、意図せずとも"学び"は受動的なものだと受け取られてしまう。

"学び"は能動的なものである。

自分から沢山の知識を様々な角度から得て、自分の意見を持ち、たまには誰かと議論して楽しむものである。

1人から「こうだ!」と言われて皆が頷くようじゃ、"能動的学び"とはいえないと思う。

 

また、何かひとつに精通していると感じて「論破」してしまうと、その他の何かを学ぼうとしなくなる。

例えば私の苦手な人はある時、

「歳を取りたくないと感じるのは、若い人が若い人にしか憧れないからだ。老人にかっこいい人がいないからだ。」

と述べていたことがあるが、私はそうじゃないと思う。

彼は批判的哲学を主としているので、たぶんイマヌエル・カントが好きなのだと見受けるが(追記1:実存主義だったらしい、決めつけてすみませんがそれでも以下の論理は変わりません)、「カント」と言われ浮かぶイメージを思い出してほしい。

おじいちゃんではないか?

彼の3大批判書の最初である「純粋理性批判」を出したのなんて50代後半だし、残っている写真も老けた顔である。

もうこの時点で彼は矛盾している。

 

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(カントの比較的若い絵)

 

また、「歳を取りたくない」と感じることは死生観に関する様々な研究で既に論じられている。

死生観とは字のごとく「死や生にまつわる観念」のことだが、研究では老人よりも若い人の方が死を恐れているという結果が多く出ている。

歳をとるということは死に近づくと言うことだ。

若い人が「歳を取りたくない」と思うのは、ただ単に「死に近づきたくない」ということではないのだろうか?

 

さっそく「論破しない」と言って論破してしまったが…

私のこの意見は哲学・心理学・社会学統計学の知識によるものである。

たぶん、彼の意見は哲学によるものだけなのだろうと見受ける(追記2:これも決めつけだったようで、心理学なども独学で勉強しているらしいが、独学ということは主観が混じってる知識ということになると思うので以下の考えも変わりません)。

多くを学ぶことで「批判」は成立するが、彼は現在一般に主となっている考えに逆張りしているだけではなかろうか。

 

私は彼のことが苦手だし、見ないようにすればいいだけの話だが、どうしても見てしまう時がある。

そしてそうなったとき変な気持ちになり凄く落ち込むし、そうなってる人は多々いるだろうと思う。

"彼"というのが誰か分かるように書いているが、これは私の彼に対する批判が届いてほしいからである。

届いた時、彼が「論破しないこと」の本当の意味を分かり、学ぶことの楽しみをしれたらなと思う。

そして私が彼を見るたびに具合が悪くならないようになってほしい。

 

追記3:

お返事が来て修正しましたが、私の意図は伝わってないようでした。

特に「論破しない」ということの意味。学ぶことについては「そういう議論をすること自体が古い」と言われました。

また、「論破できてない」「無礼な人だ」など言われましたが、私の考えも彼と同じく変わりません。

これからは最終手段としてブロックミュートしときます。逆になぜ今までしてなかったんだ。

このブログを読んでふぁぼなどしてくれた人はありがとう。

 

 

挫・人間はカウンセリング

 

ブログを書き出す前に、

私はまず謝らなきゃいけないことがある。

最近私に連絡をくれた方々、返事を返さなくて本当にごめん。

 

というのも、現在私はとても落ち込んでいる。

こういう時、私はLINE・電話の着信音が怖いので、なかなか返事が返せない。

元気になったらLINEします。ほんとごめん。

 

そんな私、最近は音楽もまともに聴けない。

先日くるりで精神の安定を図ろうとしたものの、ハイウェイが「爆音の池田亮司」にしか聴こえず発狂し、布団に潜って泣いた。

(池田亮司は最高です)

 

しかし、こんな状態でも聴ける、というより聴かなきゃ頑張れない音楽もある。

それが「挫・人間」である。

挫・人間には中学の頃からある種お世話になっており、落ち込みに悶え苦しむ夜を何度も救ってもらっている。

以前podoのサポートを下川さんがされていた時に対バンした際、ミーハー全開でサインを求めたりした失礼な私に「ありがとう、俺たち友達だよ」と仰ってくれた、超絶優しいお心の持ち主でもある。

 

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(その時の写真。怒られたら消します。)

 

挫・人間のどういうとこが好きなのか、というと「クラスの隅っこで絵を描いてた俺たち」を否定しつつも最後には全肯定してくれる、というか全肯定してこうよ、というスタンスである。(勝手な解釈です)

 

「クラスの隅っこで絵を描いてた俺たち」は正直ダサい。

私もクラスの隅っこで銀魂とナルトの絵をずっと描いてた。めちゃくちゃダサいし陰気だ。

しかもそういう奴ってずっと陰気で、私もいまだにエヴァンゲリオンを全部見返しては考察スレを徘徊し空が白んでいく…みたいな日々を繰り返してる。

インスタやTwitterを見れば同級生が結婚したり、昔好きだった男の子が海外留学してたり、

でも「クラスの隅っこの俺」は今も「クラスの隅っこの俺」。

 

 

ゲームボーイズメモリー

 

『朝が来て眠れない

僕のこと追い越した君はまだ

ポケモン言えるかな』

 

この歌詞が本当に好き。

朝まで眠れなくなるほどの憂鬱、周りに追い越されていく感覚。

でも結局私は「まだポケモン言えるかな歌える自分」でいたい。

歌えなくなるぐらいだったら追い越されてもいいもんね、という強がりだけど、

歌えない自分には絶対なりたくない。みたいな。

 

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(ちなみにこの歌詞のところでアベさんが飲んでるレクサプロ、私も愛飲してる。おそろっち。)

 

なんというか、強がりも言えなくなったら終わりだと思う。

強がり、いいじゃん!という(勝手に解釈した)挫・人間のスタンス大好きだし、

ずっとこんな顔で強がり言える自分でありたいとも思う。

 

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"下川最強伝説"

 

この曲は共感の嵐。

巷では、冒頭の歌詞からP-MODELの「美術館出会った人だろ」のアンサーソングなんて言われているが、これは私のアンサーソングだ。

 

『根暗は知性の証なんだっつうの』

『なんで俺だけいっつもトイレ掃除なんだ』

『漫画の俺はモテてモテぬくのに

 書けば書くほど虚しいなあ』

 

共感すぎる。下川さんは私の分身か?

共感しすぎてもう辛い。

 

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『でも最近J-POPを聴くと

涙が溢れて止まらないのは何故なんだ』

 

この歌詞を聴いた時、もう共感に次ぐ共感で頭がおかしくなっていたのか涙が出た。

ロックンロール!と叫んで金髪にしたり、ギター振り回したり、オーケンみたいなメイクしちゃったり。

でも結局私はJ-POPで共感できる人生が送れない劣等感を抱えてるだけなのだ。

これは全く馬鹿にしてる訳ではなく。

もっと卒業式でGReeeeNとか歌って泣いたり、西野カナみたいなちょっと面倒くさい彼女になりたかった。

そんな私の気持ちを代弁するかのような下川さんのこの表情、泣ける。

 

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他にも好きな曲がたくさんあって、「天国」や「天使と人工衛星」「もう四日もしてない」「Tee-poφwy」「そばにいられればいいのに」などなど…

大いに語りたいものが沢山あるが(特にTee-poφwyのエヴァ最終話感の話)、今日はとりあえずこの2曲で止めておく。

 

とにかく、私が言いたかったのは、

「クラスの隅っこの俺たち」を直視させ、辛さを共有し、最後には肯定してくれる挫・人間は、もはやカウンセリングであるということだ。

今日も読んでくれてありがとう。

 

追記:下川さんからお返事頂きました

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テレポート・ミュージック

テレポート・ミュージック

 
品がねえ 萎え

品がねえ 萎え

 
もょもと

もょもと

 
苺苺苺苺苺

苺苺苺苺苺

 
非現実派宣言

非現実派宣言