懇願

 

 

今日分かったことがある。

ひとつは、私は寂しいとべらべらと喋るようになること。

ふたつ目は、それで相手をウザったい気持ちにさせ、怒らせ、余計に寂しくなること。

今日も私は寂しくなり、人の家に押しかけて飯を貰い、延々と大きい独り言を言って相手をイラつかせてしまった。

前には、寂しい気持ちをTwitterで消化させようとしてべらべらツイートし、後々友人からミュートしてることを知らされたこともある。

(だからTwitterはあまり呟かないようにしている。)

 

いつもは全部過ぎた後に気づくので何故寂しいのか謎のままだが、今日は寂しい最中に気づいたので、原因もなんとなく分かる。

 

私はさっきまで祖父母宅に遊びに行っていた。

お互いの近況を話したり、家族が抱える問題を相談し合ったりした。

その時、ふと祖母が

「どうしてあんた達姉妹はそんな暗いのかね」

と言った。

 

こっちが知りたいよ、と思った。

私と姉は発達障害の疑惑があって、二人とも精神科の既往歴があって、二人とも不登校・休学・中退の経験がある。妹は絶賛不登校中だ。

こんな三姉妹いるかよ、変だよ、暗いよ、と私だって前々から思っている。

ていうか「暗い」でまとめるな。まとめてくれるな。

 

私は「発達障害だからじゃない?小さい頃から失敗して怒られて、そこからくる学習性無力感の暗さかな」と適当に返した。

いや、適当というより願望を言っただけだった。

もうただただ病気のせいでずっと辛いだけで、病気が治れば幸せになれると思いたい願望。

私の生き辛さの中にある希望だった。

 

しかし祖母はそれを一蹴し、

「チビが怒られて落ち込むわけがあるか」

と笑った。

わお、と思った。

わお、と思って、そのまま人の家に行って、勝手に大きな独り言を喋ってイラつかせた。

 

家の鍵を月2で失くしてた私、学校のプリントを見せるのを忘れてた私、毎日部屋を汚す私、予定が崩れると泣きわめく私、貧乏ゆすりが止まらない私、学校で毎日保健室に行く私。

それを滅茶苦茶に怒る母。

外に閉め出されても、傘で殴られても、泣いて懇願されても改善できなくて、小4から死ぬことばかり考えてた私。

全部辛いけど受け止めなきゃいけないことで、私はまだ受け止めようと頑張っている最中だったのに。

祖母の「チビが怒られて落ち込むわけがあるか」という一言で、なんだか無駄なことのように思えて、辛い自分が無かったことになった。

それが寂しい。

どうしたらいいの、という寂しさ。

しかもその寂しさを解消させようとすると人を怒らせて余計に寂しくなってしまう。

 

もう本当にどうしたらいいの。

 

今日はとりあえず、寂しいと人を怒らせてしまうことが分かったので、寂しいときは黙って家にいることにする。

誰か助けてくれ。

 

 

 

庵野作品は分かりにくい

 

 

昨日シン・ゴジラが地上波上映されていた。

私は公開当時ミッテ10に姉と二人で見に行って、上映中感動と興奮で号泣し悶絶した。

帰る際に隣を見ると、姉とその奥のミリタリーオタクの青年たちも目を真っ赤にしていたのを覚えている。

 

昨日の放送後にツイッターを見てみると、シン・ゴジラについてのツイートが沢山されていた。

豆知識や感想のツイートが多かったが、中には「よくわかんなかった」「つまらん」という意見も散見された。

実際、公開当時もこういう意見の方が多く、私が見に行った映画館でも席が全然埋まっておらず、その中でも見に来ていた私たち姉妹とミリヲタ青年たち以外の数名は苦笑しながら帰っていった。

 

というかそもそも、あの当時人気絶頂のアニメ・エヴァンゲリオンの最終回を主人公の精神世界の描写で終わらせ、挙句その補完映画を作るも「まごころを君に」を完成させてしまう庵野秀明監督の映画なのだ。

「面白い!」「感動した!」という声の方が少ないのが当たり前なのである。

私は庵野秀明監督のファンで、ミリヲタ青年たちと姉はミリタリーファンだから楽しめたのであって、一般的な怪獣ものを期待している人がつまらないと感じるのは至極真っ当な反応だと思う。

なので、シン・ゴジラを含む庵野作品に関して、私はいろんな人に「1回見てみてよ」と薦めることには薦めるが、「つまらんかった」と言われれば「ふーん」としか思わない。

 

しかしだ。

今回つまらないという意見よりも多く見られたのは

「すごく早口で分かりにくい。もっと分かりやすい映画になったらもっと面白いのに。」

という意見だった。

もうこれに関してはうるせえバカの一言に尽きる。

この発言は、宮崎駿

「もっと目とおっぱいがデカくてエロい幼女と一緒に共同生活するみたいな、エッチな日常系アニメ作ってくださいよ〜〜www」

と言うようなものである。恥を知れ。

 

庵野秀明の作品は主軸のストーリーの他に、登場人物全員の人生や今までの経験で得た価値観を描くことが多い。

また、その登場人物たちにそれらを詳しく語らせるわけでもなく、回想シーンが沢山入るわけでもなく、主軸のストーリーの中での行動・言動で性格を描いていくのだ。

なので、いかんせん情報量が多い。

 

例えば、シン・ゴジラから、通称内閣総辞職ビームのあと矢口蘭堂巨災対メンバーに対してスピーチをするシーン。

このシーンで一瞬だけ高橋一生演じる安田が映るが、その目は涙を溜めながらも強い意思を持っている。

 

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何も説明はないが、彼があの一夜の悲劇で大切な人を亡くしたことが痛いほど伝わってくる。

ファンの間では恋人という説が上がっているが、私はおばあちゃんだろうと思う。

このずっと前に、彼は同じ巨災対メンバーの尾頭に対して

「冗談ポイですよ、尾頭さん」

と言っているシーンがある。

このポイは「〜のようだ」という意味のものではなく、「捨てる」という意味のものらしく、おばあちゃん世代の人達が若い頃に「冗談は捨ててしまえ=やめなさい」というような意味で使っていたらしい。

親しい人の癖は伝染る。口癖も例外ではない。

きっと安田のおばあちゃんがよく「冗談ポイだよ」と言うのだろう。

それが伝染るぐらいなのだから、相当なおばあちゃんっ子に違いない。

この「冗談ポイですよ」でおばあちゃんっ子を匂わせておいてあの瞳の描写は、大切な人=おばあちゃんの布石ではないかと思われる。

 

こんな一瞬にも彼の生きてきた人生と価値観が詰まっているのだ。

その上複雑な政治事情やゴジラについての説明が入れば、図らずも早口になってしまうのは当然である。

 

 

また、話は変わるが本作のゴジラについて

ゴジラを災害として描いている」

というのも、少しだけ違っていると感じる。

このシン・ゴジラでの「ゴジラ」は巨災対や政府から「災害」として扱われ対処されているだけで、成長や進化をする普通の生物であることは今までのゴジラ映画と変わらない。

例えば、件の内閣総辞職ビームのシーン。

 

( 動画URLhttps://youtu.be/wpGK-H8tiaM )

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 最初は咳き込むように煙を吐き出し、それが段々と赤い炎になり、そして最終的にビームになっていく。

途中ゴジラは何かに目覚めたように目をギョロリとさせ、空を仰ぎ、飛んでいるヘリコプターや周囲のビルを破壊していく。

このシーンを初めて観たとき、私は飼っている小鳥が初めて飛べるようになったときや、実家の犬が初めて大きな声で吠えたときを思い出した。

自分に自分が知らない能力が宿っていたことへの生命の気付きと驚き、それに対する喜び。

意味もなく飛び回る小鳥のような、楽しそうに無駄吠えする子犬のような、何も知らない子どもがはしゃいで遊んでいる様子が僅かに伺える。

 たしかに見た目に愛らしさはなく、このシーンからも恐怖しか感じられないが、この恐怖は決して東京の街が破壊されていくことに対してではなく、

ゴジラって生きてるんだ」

という実感こそが恐怖を感じさせたのではないだろうか。

今まで被害は出しつつも攻撃してこなかったゴジラに対して、災害として扱ってきたことの「無機物感」「客観性」を全面否定し、

「お前と一緒で生きてるんだよ」

と言われたような絶望感が、このシーンを人気にさせている理由の一つなのだと思う。

 

ちなみに、

「なんでゴジラって手がちっちゃいの?」

という意見も多かったので加筆しておくと、ゴジラは食事をしない二足歩行生物だからだと思われる。

生物の器官というのは進化とともになくなっていくことがある。例えば人間のしっぽや、ハゲタカの頭頂部の毛などがそれである。

ゴジラは二足歩行生物なので歩行に前足を使わないし、食事もしないので狩猟に使うこともない。

ゴジラにとって手は全く不要な器官になっているのだろう。

しかし、完全になくなっていないのはゴジラが未だ発展途上であることを示唆しているのだと思われる。

この手が、核反応と第五形態の伏線になっているのかもしれない。

 

こうした何とも細かい描写や設定なんかが、庵野作品には数え切れないほどある。

庵野秀明監督はただただ自分のフェティシズム全開の映画やアニメをつくり、

それに対して私達オタクは、庵野作品を何度も何度も繰り返し視聴し、得意分野の知識を持ち寄ってそれらの不透明部分を補完していき、最後に庵野秀明のインタビューやメイキング動画、ファンブックなどで答え合わせしていくことに楽しみを見出している。

私達だけが分かればいい!ということではなく、庵野フェティシズムに付き合えないのなら無理して合わせなくていいということが私は言いたい。

「よく分かんないからもっと分かりやすくしてよ!」

と言うぐらいなら、「つまらない」と一蹴しワイスピでも見た方が良いのでは。

 

 

 

 

椎名林檎

 

 

椎名林檎がデビュー20周年ということでツアーを回るらしく、鹿児島にもくる。

私の中の彼女といえば、母が流す「無罪モラトリアム」のテープを、幼稚園の送迎中シビックの中で聴いていたのが最初。(今思えばとんでもない母親だ)

それからずっと大好きで、今でも無罪モラトリアムを聴くと、シビックから見る亀津カトリック幼稚園の風景が浮かんでくる。

 

椎名林檎の良さはいろいろあるけれど、私は歌詞がすごいと思う。あの独特な漢字とかではなく、言葉選びがすごい。

代表曲のひとつ、「シドと白昼夢」のサビなんか、

 

『あなたの髪を切らなきゃ』

 

で始まる。

たぶん普通は、サビの頭なんてとてつもなくドカンと印象強い言葉を持ってくるものだと思う。

でも椎名林檎は「あー彼氏の髪切ってあげてねえな」という感じで、さらりと流す。すごく日常的に、生活の一部をぽろっと歌っている。

しかもこれをファーストアルバムでやっている。やばくないですか?

 

 実は椎名林檎、最近のCDはほとんど買っていない。

それで好きと公言するのはどうなの?とも思うが、私にとっては幼い頃からなんとなく聴いてきた童謡と同じもので、そもそも好きとか・嫌いとか・ファンとかの前にずっとそこにあるものになっている。

だから、前回のRingo EXPO2008のときもそうだったけど、20周年という節目は自分が生きてきた人生を強烈に感じさせる。

 

今回のツアーはほんとのほんとに行きたいと思っているが、最近の曲知らない奴が行っていいのか?とも思って迷っている。

もし椎名林檎好きな人がこのブログを読んでいたら、どうか私の背中を押してほしい。

もしくは「お前みたいのが行くな!」と止めてほしい。

 

 

 

 

 

 

ストレス

 

 低音性突発性難聴になった。

病院で毎日4種類の薬を17錠飲みなさいとだけ言われて帰され、毎日嗚咽しながらも指示を守っている。

その先生曰く、突発性難聴というのはストレスからくることが多いらしい。

先月も腰痛で別の病院に行ったが、その時も「ストレスでしょうね」という言葉と湿布だけを貰って帰ってきた。

 

こうもストレス・ストレス・ストレス・ストレス…とばかり言われると、自分は元気だと思っているけどそうではなくて、元気なフリをしているだけのような気がしてくる。

 

それに、病院というのはお金も時間もたくさん飛んでいく。

私は元来病院という場所も薬を飲む行為もとても好きなのだが、こうも毎月ストレス性の不調が出ると、お財布も悲鳴をあげるししたいこともできないし、だんだん嫌いになってくる。

精神科に行かない努力をしても、別の科でストレス性の不調を訴えてるようでは全然ダメなように思う。

 

また、原因である「ストレス」というのも、ただの"小さい頃からある生き辛さ"というのは分かっている。

その生き辛さが脳機能障害からということも分かっている。

どうすればいいかも全部分かっている。

ただ適応できていない。

 

しかし残念ながら私は最近とても元気である。

明日もハロウィーンパーティをする予定があるし、来月には飲み会をする予定もいくつかある。

私はそれらをとても楽しみにしているし、そのために毎日頑張っている。

でもそれは、そう思おうとしているだけで、ただただ頑張りすぎて体が追いついていないのだろうか。

 

考えを纏めようとしたが上手く纏まらない。

もうストレスという言葉がストレスになっている。

 

 

普通の人

 

「変わってるってよく言われる」という人は、案外普通すぎるほどに普通の人が多いと感じる。

そういう人ほど親や親戚から愛情をたくさん貰ってたり、学生時代を楽しく過ごし、何不自由なく生活していて、人と違うということを全面にアピールしている。

 

こういう人は意見を言う時もそうで、人と違うことを言おうと的はずれなことを言ったりして、時に人を傷つけたりしている。

 

そう、私は今めちゃくちゃに傷つけられている。某有名バンドのすごく傲慢な名前の方に。勝手に。("勝手に"なので怒ってないし、謝罪を求めてるわけでもない)

 

彼はよく哲学やら心理学について言及していて、それは完全に当事者を無視している。

例えば、自殺企図患者にはコールドスリープさせたら?とか、そういうことをマジっぽく言ってて、それに対してファンの方が「感動しました!」って感じでファボ。

 

ふざけるな!!!とか、お前がコールドスリープしろ!!!とか色々言いたいこともあるけど、これを見た時はただただ、

「普通の人になりたい」

とだけ思った。

 

哲学者は暇人がなるものだってことは、ギリシア時代からずっと言われている。

ドラクエだって、最初「遊び人」になってダーマ神殿に行かないと「賢者」にはなれない。

彼はまだ、ダーマ神殿にたどり着いていないのだと思う。

 

だから、もし彼がこれを目にすることがあって、なにかこの文章に感じることがあったのなら、もっともっと新しい論文なんかをたくさん読んでほしい。特に死生観や自殺・自傷について。

それが彼にとっての「さとりの書」になることを願う。

 

 

 

美しくない21年間

 

小2から道路に飛び出す機会を伺い、

17までには…10代のうちには…

と期限を引き伸ばしていくうちに21歳になっている。

 

10代の頃は21歳の自分というのは想像し難いもので、30代の自分は存在しないものだった。

しかし今それらは現実味を帯びて私の目の前にどっぷりと鎮座している。けれど、恐ろしくはない。

 

毎日睡眠薬バファリンを大量に持ち歩いていた頃に、

「加地等を聞け」

と言ってくれた人。

今までの人生の根本的な謎のヒントを探っている時に、

町田康を読め」

と言ってくれた人。

私の気持ちをあけすけに見透かして笑う人。

辛いことを共有し共感してくれる人。

ずっと側にいて私の人生全てを肯定してくれる人。

 

全員に教えられ、全員に励まされ、全員に感謝しながら、生きることがだんだんと上手くなってきている。

たった2年で、ほとんどの交友関係がまっさらになり、新しく出会った人に今までの人生の答え合わせを手伝ってもらえた。

小2から持っている答えが載っていないドリルの欠けているページを、何人かの人から1ページづつ貰っているような、わくわくする気分。

 

もうすぐ、その答え合わせも終わりそう。

終わったあと、30代の自分が美しく鎮座しているのか。はたまたドブ色なのか。

 

そういう不安とも高揚ともとれるドキドキを抱えて過ごしている、今日この頃。

 

 

 

 

ヤク中はヤク中

知り合いが最近、急に

トレインスポッティング最高〜」

トレインスポッティングに影響されてる」

と言い出した。

ネットのニュース欄でも

「あのトレインスポッティングの続編が!」

とか

トレインスポッティングが帰ってくる!」

など右を見ても左を見てもトレインスポッティングばかりで、正直私の性分だとこういうときに観るのは癪に触るので普段はしない。

けど観た。理由はないが、観た。気になるし。

 

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主人公は真ん中の坊主レントンで、端的に言うとヤク中映画だ。

ヤク中がかっこよくヘロインやってアヘンやってヘロインやってヘロインやる映画だ。

 

(これはスコットランドで最も汚いトイレで、大便をしたせいで落としてしまった座薬型アヘンを探しに、便器へ潜るレントン)

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薬物中毒というと、ヘロインや大麻やアヘンなんかを思い浮かべる。

途中、レントン離脱症状に苦しむ描写や急性薬物中毒になり病院に運ばれる描写があるが、

その描写は限りなく抗精神病薬睡眠薬離脱症状、急性中毒症状にも似ていて、

レントンが劇中で言った

「母親は国が認めているヤク中だ」

というセリフを強く連想させた。

(母親は睡眠薬を服用してる様子)

 

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(これはスコットランドで最も汚いトイレに潜って座薬型アヘンを見つけた後、上がってきて嗚咽するレントン)

 

結局のところ、辛いことがあって薬をやる人は、違法薬物に手を出すか合法薬物に手を出すか、それだけの違いしかないのかもしれない。

 

トレインスポッティングはただかっこよく、面白く、イケてる映画だ。

でもそれ以上に薬物の在り方やヤク中の心の在り方を力強く描いていた。