あずまんの日記

個人的な感想や意見なのであしからず

父の話

 

私は父が大好きだ。お互い音楽と料理が好きで、マンガや映画、お笑いの趣味も合う。もう親子と言うより友人のようだと思う。

しかし、私たちの間に大きく隔てる壁がひとつある。それは私の病気とそれによる就労状況だ。

 

私の病気は双極性障害で、私の場合再発を繰り返しているため、もうほぼ一生治らない。それに加えてADHD傾向もあるため、集団の中で活動することがてんでダメで、高校も大学も中退している。

この現状を鑑みて、私は在宅のフリーライターをしている。お給料はあまり良くないが、これでお金が稼げるのなら良いと思っているし、何より精神的に安定している。

「仕事と体、どっちが大事なの?!」

と言われればそりゃ体と答える人の方が多いはずだし、私が体を優先した場合はこうなった。

 

ただまあ、お給料が良くないということは生活がままならないということだ。税金や国保、大学の奨学金、医療費、生活費以外にもかかるお金は沢山ある。正直、税金関係で給料はほとんどすっ飛ぶ。

そこで私は、障害者手帳を申請して税金関係を減額・免除してもらおうと考えたがそれでもキツい。(まあでも手帳申請はして取得待ち)

私のような人に打って付けの制度があることは知っている。障害者年金である。しかし私はどうしても受給することに一歩踏み出せない。

その理由は父にある。

 

父は韓国人や中国人を毛嫌いし、生活保護受給者を否定的に捉え、特に在日外国人の受給を不正受給だと考えている、まあ「ネトウヨ」的考えの人だ。

加えて父は私が病気であるということや、もう治らない確率の方が高いということを認めたがらず、私の話を聞こうともしない。その上私が心配をかけまいと無理して元気に振る舞うと「もう治ったな!」と嬉しそうに喜ぶ。

以前一度、この状況を打破しなければと思い

「私は障害者手帳を申請できる障害者です。

一般就労はもう無理だから、期待しないで。」

という旨の手紙を送ったら、怖いからと父は読みたがらず(何が怖いんだ…)、母だけ読んで棚の奥にしまったと後から聞いた。それ以来、家族に会ってもその話はタブーになっている。

 

そんな折、私はあるツイートを見つけた。

このツイート、かなり長く連続しているのだが、中でもこの部分に父が怖がる理由があるようなきがした。

きっと父は私が「社会のお荷物に成り下がってしまうんじゃないか」ということを懸念していたのだろう。娘にはあんな奴らのようになって欲しくない、と思っているのだろう。

 

私は今まで父や母を説得した上で年金の受給申請をしようと考えていたが、もしかしたら私が障害者手帳と年金手帳を見せてあげる方が、荒療治的だが何か変わるかもしれないと思った。

この人は生活保護受給者との直接的関わりがあったことで、考えが変わったのだ。私の父も、私とこのことについて深く知ってもらうことで、何か考えが変わるかもしれない。

そう思えて、なんだか心につかえてたものが取れたようなスッキリとした気持ちになった。

 

弱い人が弱いままでいられる社会が、本当に良い社会だと思う。生活保護受給者も、障害者年金受給者も、友人にいる。みんなとても優しく、頑張り屋さんである。彼らが弱い部分をみんなが許容しあえる世の中になれば一番いい。

イベントのときも上がった言葉だが、

「弱さの共有と許容」

これが今一番ラブアンドピース以上に必要な言葉なんじゃないだろうか。

 

 

終わりが見えないのでこの辺で。

 

イベントありがとうね

 

先日、ずっとずっと頭の中を占めていたイベントが終わった。そのせいか手持ち無沙汰でソワソワしてしまい、仕事も覚束無いのでブログを久々に書く。

 

イベント自体は成功に終わったと思う。何より、全員がナイスアクトなイベントだったのは本当に凄いことだと思った。議論もかなり白熱し、時間が40分押しになってしまうほど盛り上がった。あれはいけなかったとは思うが、楽しかった。

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しかし、終了間際になると謎の離人感に、終わった後は虚無感と脱力感に襲われた。そこに追い討ちをかけるように、ある人の「笑ってたら幸せになるよ」という言葉に、気が狂いそうにもなった。元気を取り戻してきた今でも、その言葉が頭から離れない。

 

私は結構笑う方だ。

小さい頃からしてきた作り笑いも板について、ほとんどの人には「明るく元気な人」だと思われるほどだ。まあ、勘のいい人には「笑うな」「嘘つくな」と怒られたりもするが。

正直、自分自身でもヘラヘラしている自覚はあるし、でももうこれは止めようと思っても止められないもので、悩んでさえいることだ。

そこにあの言葉がこだまする。

 

イベントの日、私は笑っていなかったのだろうか。それとももっと笑え、ということだろうか。本当に心の底から笑えていなかったのだろうか。楽しかったのは嘘だったのだろうか。

そんなことを考えてたらいつの間にか朝になって、夜になって、朝になって、夜になって…

深い意味はなく発した言葉だったのは分かってるのに、心が追いつかない。なんでだろう。それも分からない。

暗いなあ、と自嘲してみるけど、それも本当に笑っているのか?

もう分からん!誰か助けてくれ!

そう思うほどに過食と不眠を繰り返していく。

 

まあでも、元気は元気なのだ。

私は今日も眠剤を飲み、PUBGをして、落語を聞きながら眠りにつくとする。

今日は天狗裁きでも聞こうかな。

おやすみなさい。

 

 

takk!使ってみた

 

最近「takk!」というものがメンタルヘルス界隈で賑わっている。

どうも、自分が得意なことと困っていることを登録して、お互い助け合うツールであり、そこに報酬として金銭が発生したりしなかったりというものらしい。

 

私自身、最近イベントの宣伝方法をどうしたらいいのか困っていたことや、文章を書くお仕事を貰えないか考えていたこともあり、登録して使ってみることに。

 

 

まずアカウント登録。

登録自体はかなり簡単で、ツイッターFacebookのアカウント認証を行うだけ。

私の場合Facebookは利用していないので、最初に出てきた画面の「ツイッターでアカウント登録」という水色のボタンをぽちっと押すだけで登録が完了した。

楽!!!!!!

 

登録が完了するとホーム画面へ。

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ホーム画面はこんな感じで、ツイッターFacebookの知り合い(フォロワーのフォロワーまで?)で登録をしている人たちの「できること」「困りごと」が新着順で出てくる。

正直最初は

「なんでフォロワー…?全然知らない人の新着情報じゃないの?」

と思ったが、意外とこの“フォロワーのフォロワーまでの表示”が使ってみると便利だった。

 

全然知らない人となると、本当に全然関係のない「できること」「困りごと」がほとんどなため、見ても「ふーん」と思うだけに留まってしまう。

しかし、“フォロワーのフォロワー”ぐらいだと、興味のある事柄に関するものが多いため「頼んでみたい」「頼んでほしい」と思い、実際に取引に繋がる回数も多く感じた。

 

実際に私も数名と取引の連絡を行ったが、これがまたスムーズで楽ちんだった。

 

上の画面で表示されているものや、虫眼鏡のアイコンで検索し表示されているものの中で取引をしたいと思ったら、まずその「できること」「困りごと」をタッチ・クリックする。

 

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すると出てくるのがこんな画面で、詳細を確認し、ステータスを選び、依頼の詳細を入力し、あとはそれを送信してやりとりするだけで終わり。

 私がやりとりしたものでも、大体数回のやりとりで取引が完了した。時間にすると一時間もかかっていないように思う。

これでお給金もでたりするなんて便利すぎないか。

便利すぎて怖い。

 

 

…とまあ、ここまで使いやすさに関してめちゃくちゃに褒めちぎっているが、使ってみて感じた点も上げていこう。

 

まず最初に感じたことは、「ただの便利な頼り合いツールじゃないな」ということ。

最初にtakk!を知ったとき、先にも述べているが、メンタルヘルスに関する活動をしている人たちの間で話題を呼んでいたためだったこともあり、

「なんでメンタルヘルス界隈で流行ってるんだ?」

と疑問に思った。

そして使ってみるうちに、これは「ただ頼り合いをするツール」ではなく、「自分の得意なことで達成感や自己肯定感を高め、それを他の人にも分けてあげるツール」なのかもな、と思うと同時に、メンタルヘルス界隈で流行っていることにも納得がいった。

メンタルに支障をきたしている人は自己肯定感が低い。

そのために、「自分は何もできない」「必要とされていない」と感じてしまう人も少なくない。

そういった人たちが得意なことを発信し、頼ってもらうことで「自分にもできることがある」と感じてもらうという、認知行動療法的なアプローチのツールであるように感じた。

そら流行るわ。

 

しかし、そうしたメンタルヘルス界隈を対象にしていることで出てきている問題点もあるように感じた。

 

現在、リリースから半年ほどしか経っていない「takk!」。

そのためか、登録されている「できること」と「困りごと」の比率としては圧倒的に「できること」の方が多い。

まだ最初のユーザーたちが自己肯定感を高めるに至っておらず、その間もどんどんユーザーが増えてしまったために、このアンバランスな図ができてしまったように感じた。

また、私のように「得意なことでお仕事を貰いたい」と考えている人は、競争率の高い「困りごと」にコンタクトしにいくか、依頼をただ待つしかない。

なにごともすぐに結果がでるものではないと分かってはいるものの、この“待つ”が苦手な私にとってはかなりの問題点のように感じた。

 

 

個人的に考えるtakk!の課題としては、このアンバランスさをどうするかにかかっているように思う。

運営の方達は「メンタルヘルス界隈を対象にしている」と明言してはいないものの、実際その界隈で流行ってしまったために生まれたこのアンバランスさを、いかに他の場所での流行で修正できるかが鍵なのではないだろうか。

 

 

 

わたしのエヴァンゲリオン

 

エヴァンゲリオンは私の青春であり、人生である。

また、私の中のエヴァンゲリオンは既に終わったものであり、新劇場版はゲームで言う別エンドにすぎない。

先日、新劇場版の最終章の公開年が決定し話題になり、私もおおいに盛り上がったが、他の人と違うのは

「やっと完結する!」

ではなく

「やっとBルート終わりか」

という気分なこと。

 

そもそも、アニメ版の最終話を見て「完結してない」と勘違いしている人が多いが、あれは綺麗に完結しているのだ。

「おめでとうエンド」と馬鹿にしているやつは死んで詫びるか、「THE END OF EVANGELIONまごころを君にAir”」を見るべきだ。

DEAD or WATCH

 

 

劇場版 NEON GENESIS EVANGELION - DEATH (TRUE) 2 : Air / まごころを君に [DVD]
 

 

この映画、アニメの第25話と第26話のいわゆる「おめでとうエンド」と馬鹿にされた話は、実はシンジの心の中の葛藤を描いたものだったというもので、

では実際その頃、エヴァの世界では何が起きていたのかを描いている。

戦略自衛隊のNERVへの奇襲、その中で起こされるサードインパクト人類補完計画、全て見透かしていたかのように始まるシンジの父・碇ゲンドウの秘密計画…

 

そもそも、エヴァの世界では人と人を分つのは“ATフィールド”と呼ばれる心のバリアのようなものと考えられていて、その人を分つバリアを破壊することで「大きな一つの生命体」になり「誰も傷つかない世界」にするのが『人類補完計画』であり、また、そのバリアを破壊するのが『サードインパクト』である。

主人公のシンジがサードインパクトを引き起こす材料となる訳だが、その心の葛藤を描いたのがアニメ版、世界の動きを描いたのが旧劇場版である。

 

 

この映画には印象に残るシーンが多くある。

 

サードインパクトが起こり、人々のATフィールドがなくなると、人はLCLという生命のスープに変わってしまう。

その瞬間に心の葛藤や欲望が具現化して現れるのだが、

エヴァのモブキャラである青葉シゲルは大量の綾波レイに詰め寄られながらLCLになった。

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これは裏設定があり、人工的に作られた綾波の身体を、青葉が保管庫から盗みダッチワイフとして使っていたためだと言われている。

青葉はアニメ本編でも勤務中に音楽雑誌を読んだり、エアギターをして遊んだりしており、なんとも彼らしい終わり方である。

私の3番目に好きなキャラは彼だ。この人間臭いクズ加減がよい。

ちなみに1番は加持リョウジで、2番が惣流・アスカ・ラングレー

 

次に「大人のキス」のシーン。

シンジがエヴァに乗ることにトラウマを持ち、もう死んでしまいたいと考えている状態から始まるこの映画。

そこに戦略自衛隊が襲撃を仕掛けてきて、サードインパクトを人為的に起こそうと画策していることが判明し、シンジも戦闘にかり出されることになる。

葛藤しながらも、上司の葛城ミサトに連れられ、自衛隊の網を搔い潜り、エヴァの搭乗口に直結するエレベーターまで向かうも、ミサトは自衛隊の銃弾を受け致命傷を負ってしまう。

エヴァのトラウマ、仲間の戦闘、ミサトの負傷、様々な葛藤をめぐらせ戦闘への参加をしぶるシンジに、ミサトは熱い口づけをかわすのだ。

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「大人のキスよ、帰ったら続きをしましょう」

そういってシンジをエレベーターに押し込むミサトは笑顔で彼を見送る。

 

これ、確かにスケベではあるが、こんなに感動するシーンは無いように思う。

ミサトは性に奔放なため、セックスを匂わせることでしか男を奮起させられないことも、ミサトがこのままだと死んでしまうことも、お互い分かっているのだ。

お互い分かっていて、相手が分かっていることも理解した上で、シンジは戦闘に向かい、ミサトは笑顔で送り出す。

こんなに切なく物悲しいシーン、他にあるだろうか。

 

最後にシンジの問題のシーン。

映画の冒頭で、負傷し意識の無い仲間・惣流アスカの露出した胸を見て、その場でシンジはオナニーを始めてしまう。そして終えた後、

「最低だ、俺って」

と手のひらを眺めて呟くのだ。

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最低すぎるだろ。まあ中学生だし仕方ないのか。

でもこれおっさんが考えたと思うと最低すぎる。

 

まあ、そんなことは置いといて。

実はこのシーン、最後の最後のシーンにつながっているのだ。

 

サードインパクトの引き金となり、「誰も傷つかない世界」か「傷つく世界」の選択を迫られたシンジは

「もう一度みんなに会いたい」

と自らの意思で図らずも人類補完計画を阻止する。

そしてサードインパクトが終わると、シンジの隣にはアスカが横たわっており、周りには誰もおらず、シンジはアスカの首を絞める。

しかし、途中で手を離し静かに泣くシンジに、アスカが一言「気持ち悪い」と吐き捨て映画は終わる。

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この「気持ち悪い」はアスカの声優さんが考えた台詞だ。

監督に「起きたとき、自分でオナニーしてた男がいたらなんて言う?」と聞かれ、答えた言葉がそのまま台詞になっている。

まあ、だよね〜という感じ。そら気持ち悪い。

 

ここからは憶測だが、シンジは「傷つく世界」を「他者から傷つけられ、自分も他者を傷つける世界」だと考え、それが今までの世界だったことを理解し、望んだためにアスカと2人きりになったのでは、と考える。

今までのアニメでも、シンジがはっきりと意見を言えたのはアスカだったし、アスカもシンジを傷つけていた。

それが人間と人間が関わるということだと理解し、求めたのでは。

しかし、そういう世界を求めただけであってアスカを求めた訳ではなかったため、他の誰もいない世界に混乱し、今まで自分を傷つけてきたアスカに当たったのだと思う。

 

でもまあアスカにとっては関係のないことだし、そら気持ち悪いよね。

 

 

エヴァはロボットアニメではなく人間ドラマだと言うことは死ぬほど言われてきているが、アニメ版と旧劇場版は特に色濃くその傾向が出ている。

むしろ新劇場版はただのロボットアニメと言われてもしょうがないぐらいである。

みんな、エヴァンゲリオンを見るときはアニメ版と旧劇場版を見よう。

それか、全部見ないでこんなうるせえオタクにならないようにしよう。

 

 

 

 

耳栓にはまってます

 

最近耳栓にはまっている。

はまっている、と言えば語弊があるかもしれないが。

 

最初のきっかけは不眠症で、外の音や篤史のいびき、鳥たちの寝言などが気になって眠れなくなったため、100均に買いにいったのが始まり。

そこからあれやこれや調べたり買ったりしているうちに、めちゃくちゃにドはまりしてしまった。

 

最初に買ったものはキャンドゥ(100均)のウレタン製のもので、まあまあ使い心地はよかったがすぐに失くしてしまった。

そこでまた別の100均で買ったスポンジ製の、失くさないように紐がついたやつを買ったのだが、とても微妙。

耳栓を入れるときに一旦ぎゅっと押しつぶすかと思うが、スポンジ製だとすぐに元の形に戻ってしまう。

そのため、耳に入りきる前に元の大きさになって、その柔らかさと絶妙な反発性で耳から押し出されてしまうのだ。これはクソ。ほんとに。

 

そこで調べて出てきたのが、MOLDEX社のウレタン製耳栓である。

これはほんとにすごい。

 

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まずいろんなサイズと反発力?のものがあり、色や柄もかわいい。

そして、耳への入れやすさも半端じゃない。

先に書いた100均のスポンジ製のものと比べてみると、ぎゅっとした後の戻りがかなりゆっくりなのが分かる。

  

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それぞれ元に戻るまでの時間を計ったところ、スポンジ製のものが5秒以下なのに対して、MOLDEXのものは2分30秒以上もかかった。

こんだけ時間がかかれば、一旦耳に入れてから位置の調整をするのも超簡単。

 

また、同じくウレタン製だったキャンドゥのものと違う点は、密度の高さのように感じる。

これをつけたら、ほんとに自分の声以外全く聞こえなくなる。

多少大きな音になれば聞こえるのだろうが、生活音に関しては全く気にならなくなった。

 

もともとはサバゲーとか銃を扱う人向けのものらしく、そりゃ使いやすい訳で。

もうなんなら、私はこの耳栓を買ってから普段集中したいときなんかにも使っている。

寝るとき、勉強するとき、ブログを書くとき、イベントのことを考えるとき。

サイズもぴったりなものだと、ずっと付けていても苦にならない。

 

なんかアフィリエイトっぽくなったので、適当にリンクも張っておく。

みなさんも、耳栓ブーム起こしませんか。

 

 

 

 

 

昨日のこと

 

一昨日は最悪な日だった。

学校に行き、病気に関する配慮をお願いしに行った際に、医者から貰った診断書を渡したついでにコピーを貰ったのだが、

そこには大きく「双極性障害1型」と書かれていた。

あー鬱病じゃなくついに躁鬱になったなー、と思いつつもやもやとした気持ちを抱えながらTOEICの勉強をしていた。

 

私はある程度の精神医療の知識がある。

だから鬱病双極性障害の傷病区分が違うことも知っているし、より複雑になってしまったこともよく分かった。

もやもや、もやもや

いやまあ、分かってたけどね。

今日はお酒を飲もう。

そう思いお酒とつまみを買って帰った。

 

そこに急にまつきよさんからLINEが入った。

「きしゃばで飲もう」

とのことで、でも金がないから家に来たら酒ありますよ、と誘い返した。

30分もしないうちに来て、私の好きなおつまみを追加で買ってきてくださった。

 

私は息付く間もなくすぐに

「躁鬱になりましたよ」

と伝えた。特に何も期待せず、報告として。

すると瞬間、まつきよさんは爆笑して、笑いで途切れ途切れになりながら

「段階、上がったね!」

と言った。

 

これだ、私が欲しかったのは!

今日・及び昨日のもやもやに対する酒はここにあった!

嬉しくてたまらなくて、全部話した。

まつきよさんは全部笑った。

まつきよさんも話して、私も全部笑った。

 

そんなこんなで昨日の4時まで語らい、煙草と酒を飲み、薬も飲まずにすっと寝た。

起きたら10時で、お腹も空いていた。

なんていい夜だったんだ、としみじみ思った。

 

 

昨日はイベントにお誘いする人と篤史くんとの予定があったので、まつきよさんの買ってきてくれた柿の種を食らい、さらっと準備をして磯に向かった。

お誘いした彼は私と全く同じ趣味を持つ人で、彼の車で流す私のiPhoneの音楽を彼は

「俺のiPhoneかと思った」

と笑っていた。

 

磯のカフェでパスタを食らいながら、イベントに関する話をした。

私は彼にDJもしくはトラックメイクなどをして、作品があれば展示してほしいとお願いすると、彼は

「実は俺コラージュとかやってるんすよ」

と今までの作品を見せてくれた。

 

その作品群を見て、私は中高と描いていた自分の絵を思い出した。

人型や犬型に切り抜いたメモに、機械仕掛けの骨格を描いていた私。

もっと可愛い絵を描いたらいいのに、と言った担任の先生。

あまり知られてない好きなバンドのフライヤーを描くのが趣味だった私。

なんで忘れてたのか不思議に思うと同時に、この人に頼んで良かったと思った。

 

そこから篤史くんの打ち合わせや最近聴いているアーティストの話を終えて、解散し、帰ってきてから優しい昼寝をした。

起きてからもお腹が空いていて、ご飯を1合も食べた。

 

傍から見れば普通の日常かもしれないが、私には最高の24時間だった。

イベントもきっと最高のものになるだろう、と確信した。

なんという日、なんという日常。

最高、最高だ、と噛み砕きながらまた今から眠りにつく。

たぶん来週も幸せに終われるだろうと夢見る。

 

 

 

最近の私うるさいよな

 

近頃気絶したように眠り、何かに駆られたように起きる毎日が続いている。

病院の先生の処方箋いわく、躁状態になっているらしいのだ。

躁とは鬱の対局で、テンションの上がり下がりが激しすぎる状態に私はいる。

 

ここでの不安はイベントのことで予定を詰めすぎていることで、最近よく

「イベントの打ち合わせ、行けないほどの落ち込みがそのとき来たらどうしよう。」

とばかり考えている。

全然そんなこと考えても意味が無いのに。

 

そんな不安を抱えながら、強い眠剤を飲み、泥のように眠り、そうかと思えば夜中にすっと起きて、あれやこれやと計画や活動を始めるのだ。

こうしてる間に、篤史くんがいびきをかいて寝ているのを見ると、ひっぱたきたくなるほど憎くてたまらなくなることもある。

 

みなが布団から出れないよ〜と嘆く中、「布団にいつまでも入っていたい」と嘆く。

一見同じ、本質が全く違う。

眠れない、寝たい、眠くならない、寝たい

動き回りたい、寝たい、活動しなきゃ、寝たい

そんなことを考えている内に体重がみるみる落ち(6月だけで4kgも落ちた)、でも笑いながらべらべらと喋り一日が終わる。

 

イベントについても、自分的にはナイスアイデア!最高だぜ!と発表し、計画もさらけ出しているが、

どうしても反応が薄く、それは私がうるさいからだな、と帰因してみるも

「本当は変なアイデアなんじゃないか?」

躁状態の無敵感によるものなだけだろ」

「みんな気を使ってるんだ」

と囁く自分がいて、でも涙も出ないしへらへらとしている。

 

打ち合わせ、という名のお茶会は10・15日にあるが、そこではみんな本音で語り合おう。語り合いましょう。

そうしなければ、私が不安なんです。

お茶会をしてから出演を決めてほしい。

 

しかしまあ、こんな不安を抱えつつもイベントはやる。やらねばならぬ。

今最も出てほしい3人に声をかけ、2人に声をかけようとしている。

この人たちなら私のやりたいことを受け止めてくれるはずだ、と感じる5人だ。

しかし欲を言えばあと2人に出てほしい。

もし、興味を持ってくれている人がいたなら、7月中に会ってお茶しよう。

そこであなたの美しい話と、私の思う美しさの話をしたい。

その擦り合わせができるとお互いが感じれた時、出演を決めてほしい。

待っています。